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新交響楽団第232回演奏会 [ホルン]





昨日は新交響楽団の第232回演奏会で創立60周年の第一弾の演奏会でした。雪が心配されましたが東京は積雪もなく晴天で、約1300人のお客様にお越し頂けました。今回の演奏会は私にとって特に印象に残る演奏会となりましたが、私だけでなく演奏した皆の共通の想いだったようです。新交響楽団にとって特別な存在である芥川先生の作品を取り上げたということもありますが、何といってもエルガーの交響曲第2番を演奏することで得られた達成感、満足感が大きかったからだと思います。

今回エルガーを取り上げたのは指揮者の湯浅卓雄先生の強い希望があったからです。正直なところ殆どの団員にとっては今まで聴いたこともない未知の曲でした。ですが練習を通して湯浅先生のこの曲への愛着を知り、我々もこの曲を共感を持って演奏することの喜びを感じることとなりました。

新交響楽団には維持会というものがあり、維持会員の皆様に毎回維持会ニュースをお送りしていますが、今回は私がエルガーについての雑文を書かせて頂きました。次の新響のホームページから何方でも見ることが出来ます。
http://www.shinkyo.com/concert/i232-1.html

この維持会ニュースに書かせて頂いたように私自身がこの曲を練習した3ヵ月は楽しい時間で、元来あがり症で本番中は雑念に捕われがちな私ですが、今回はこの素晴らしい作品を演奏することを楽しもうという気持で音楽に集中できました。60分近い大曲ですので3楽章くらいからは疲れが音に出て、ミスも少なからずありましたが、それでも最後まで集中力が途切れることなく、逆にもう終わってしまうのかという寂しさを感じながら最後の長い消え入るようなロングトーンを味わって演奏することが出来ました。終わってから話してみると皆同じような気持ちだったようです。演奏者が満足した演奏が必ずしも良い出来とは限りませんが、お客様の反応も良く、オーケストラとして良い演奏が出来たと思います。

その理由を考えてみると曲自体が素晴らしく、指揮者が得意とする曲であったことだけでなく、オーケストラにとって未知でり、白紙だったからかもしれません。世の中にある沢山の有名な名曲であれば多くの団員にとっては過去に演奏経験もあり、各自が好む演奏や、それぞれの自己主張、過去の演奏で身に付いた癖や思い込みがあることが、演奏のまとまりを欠く要因となったりします。良いオーケストラプレーヤーというのは求められるスタイルやテンポ、表現に答えられる柔軟性をもっているものですが、アマチュアである我々は一度体で覚えてしまった癖からはなかなか抜け出せません。そういう意味で今回は白紙であったことで湯浅先生が表現したいエルガーの演奏に素直に共感出来たのかもしれません。特に湯浅先生が強い拘りを持っていた4楽章の最後の黄昏はホールでの生演奏でしか味わえない音楽になっていたと思います。



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